青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

天邪鬼

 

典型的な天邪鬼である、と思っている。

 

 

 

小さい頃、人にどう思われているのかが分からず且つそれに対してどうしたら良いかも分からずに不可解でぼんやりと嫌だったような記憶がある。

 

 

 

 

小さい子供に稚拙な言葉で話しかけてくる大人を正気かと思っているような子供だった。

 

 

 

今でもどうかと思っているので自分がそういう小さな子供と話す時は、

平易でという点は気をつけるが態度は友人と話す時のような砕けた印象で話すように心掛けている、

 

が故に、難しい言葉分からないよとか上から目線すぎるぞ、とかお小言と共に怒られる。解せない。

 

 

 

 

 

 

自分の年齢が若いだけで分からないだろうとか思われるのはただの屈辱で侮辱だろ。

 

 

まして子供に与える影響や挫折たるや、という話だ。

 

 

 

 

そんな子供だったから、子供は子供らしくしなくてはいけないのだろうかと思い迷惑をかけないよう静かにしていたし、

褒められると恥ずかしくて嫌で不快だ、

という天邪鬼だったので敬語が使えなかった。

 

 

 

 

 

今はもう少なくなっているが、会話の中でどう返事をしたら良いか分からなかった頃の記憶が色濃くある。

 

 

 

 

 

 

 

タイムスリップするとしたら、という質問がある。

 

 

どこまでも自分が好きな人だ、自己顕示欲の塊で気持ち悪い、と罵られてしまいそうだけど、

小さな頃の自分に人との会話の方法を教えてあげに行きたいなと思う。

 

 

 

もっとも、自分も他人も嫌いで生きることに苦悩している人間にとやかく言われても、

 

僕は僕なりに、他人が嫌いなりに自分を透かして見る位にしか時間を消費する術が無かっただけだから、

 

ナルシシズムとはちょっと違うような気がしている。

 

 

 

誰と居ても孤独に思えていたから、僕には僕しか居なかったのかも、しれないね。

 

 

 

 

 

 

さらに言えば、僕はさっき食べたご飯の内容も覚えてないような人なので、時間軸の自己同一性がまるでない。

 

だって記憶がないなら別の人じゃない?

逆に、記憶があれば、「君と僕」も1つになれるのかもしれないけど。

 

 

 

 

まあだから自分の過去の行動も、

 

良く考察されているために心情や状況がありありと分かるようになっている小説、

 

という意識なので、自分が好きという根源も別にinterestingだからということなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

元の話に戻ると、

会話の方法を教えたい、ということだ。

 

 

 

なりたい職業を短冊に書け、と言われても、

世界の職業を''ピアノの先生''しか知らなかったからそうとしか書けなかったように、

 

言葉を知らなかったが故に得てしまった屈辱感でちょっと苦しい。

 

 

 

捨て去りたいのかもしれない。

でも「捨てきれるだけの恥は捨てろ」と常々思っているから、

僕はまだ小さい頃のブツを捨て切れていないのか?

 

 

 

 

 

 

会話の始め方で、自慢からでしか入れない人が脳裏に浮かんだ。

 

僕はあれに近かったし、いや皆そもそもあれが最初なんだけど、抜け出せていないとも気付けないのは、見ててなんだか微笑ましい。

どれだけ評価されやすい頭の良さを持っていてもその幼稚さが君だと、僕はそれを愛することが出来ると、言えるよ。

 

 

 

 

 

 

別に親でも本でも、恥を感じないような、近しいものであれば割となんでも良かったはずなのに、自らが労する方を望むのは、やっぱり信用してないんだなぁ。