青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

後悔

 

黒歴史って、方向転換をしたから黒くなるんじゃないか、

って、ずっと思ってる。

 

 

今の自分と昔の自分がかけ離れているから昔の方が嫌だと思うわけで、

若いまま突き進めばそれは黒歴史にはならないんじゃないか。

 

 

例えば厨二病だとか、大人になるまでやってたらそれはその人の個性だよな。

まあ皆が皆受け入れてくれるわけではないけれど、

充分にその人のアイデンティティにはなると思う。

 

 

特撮とかプリキュアとかの幼児向けコンテンツを、小さい頃からずっと好きでいられた人って、

もし居たとしたら凄く幸せなんだろうな。

 

小4あたりで、まだ見てるのかよとか言われて好きであったことを捻じ曲げてしまうのは、単純にただただ悲しい。

 

 

普通におじさんお兄さんになってからも好きな人はいるし、おばさんだってお姉さんだって好きな人はいるのに、

年月は関係ないのに、

 

そのまま好きでいていいのに、

 

 

でもその子にとってはその言葉が世界の中の大部分を占めているわけで。

 

 

若い内に習い事とかでコミュニティが増えることは良いのかな。

でもその年代で多様な意見ってのもあまりないのかもしれない。

 

自分がそうでなかったから分からないけど、幼い頃は大人の意見に合わせていたような記憶があるから、きっとそうなんじゃないか?

 

 

自分だけ、という疎外感は生きて体感し得る絶望のひとつ。

 

 

 

 

 

友人と幼なじみの話になって、連絡が取れるかと問われた時、ふとその子が習い事を沢山やっていたことを思い出した。

ピアノ以外に何もやっていなかった自分は別にダサくなんかないのに、必死にいくつも習っているようフリをした。

 

今じゃそんな習い事なんかないよ、ってものも、知識をひけらかすために。

 

 

 

ところで僕は中高時代に3つ部活を兼部していて、もし、もし万が一、それが幼少期のそのコンプレックスから来ていたとしたら、と思って。

 

 

自分のしていたことは思っていたより稚拙なのかもしれなかった、ことの絶望。

 

 

 

 

後悔していることは?という学校内の新聞のような広報媒体の記事に、アンケートで「ない、やれることはやり尽くして来た」と書いた知り合いの先生が居て、

 

 

なんだそれでいいのか、と

羨ましいな、と。

 

 

 

 

 

具体例がないと自由になれなかったしなれなくて、今もまだそんな思考のまま生きてしまっている。

 

 

残念ながら記憶力が無いという理由で現在毛ほども後悔のない人生となっているのだけれども、

またこれも何かのコンプレックスなのかもしれなくて、

幼少期の自分を愛しながら生きていかなきゃいけないのだと気付いて、

また絶望の一歩手前。