青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

 

 

好きな人には好きなうちにお金を掛けておくと良い。らしい。

 

師匠と呼んでいる知人曰く。

 

 

 

そんなわけで私はきちんと、好きな恩師の誕生日にはN万円のプレゼントを渡して学年主任に呼び出しをくらったし、

そこで主任から悪戯の定義について説教されるという謎の空間も生み出した。

 

 

 

 

好きな対象がアニメとかならまだ良い。

 

アイドルとかでも、言ってしまえば金儲けが目的のコンテンツにお金を払うのは限りがない。

ただただ好きという鬱屈とした感情が晴れるし、winwinというやつである。

 

 

 

しかしそれがなんでもない普通の友人知人や上司だったりする時にはどうしたら良いのか。

 

 

 

 

 

 

たまに、こちらが生きてしまっているのが申し訳なくなるくらい聖を感じる人に出会う。

社会的に偉いとかではなく、その人間性を評するのに神と使ってしまうような、そんな矛盾した存在。

 

出会った時に完全にそうではなくてもその素質を感じる、という場合もある。

 

 

 

その時、どうやってその神未満にお金をかけたら良いのだろうか。

 

 

 

 

 

その人が素敵な言葉や思想、考え、思ったことを享受したい、その己の身勝手な欲はどこにお金をかければ果たされるのか。

 

要はその人の脳味噌からの抽出物に貪りつきたい、ということである。

 

 

 

そのために必要となる資金を援助したい。

というかそれしか私に出来ることがない。

 

しかしどうやって。

 

 

 

 

 

 

これについて悩む時、舞台俳優のブロマイド制をこれほど恨むことは無い。

 

ちなみに奨学金とか、大それたことは出来ないしあまり意味も見いだせないのでやりたくはない、だからそういった教会の設立予定はないしそうやって出会いも少なくなっていく。あとは純粋に桁も足りない。財布が緩いとはいえ出せるのは所詮はその人のお小遣い程度だ。

 

 

 

 

 

そうして、たかだか生まれた日を祝う、さらに言えば1つ死に近づくだけの、誕生日はこのためにあるのだろうな、と。

 

あとはバレンタインだろうか。

 

でもそのくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

さらに言えば、そういった言葉は散文で取り留めのない、Twitterの裏垢くらいの気分で書かれる言葉が、1番、その人の色が出ていて強くそして素敵な文章となっていることが多い。

 

 

 

更にお金をかける要素が無くなっていく。

 

 

noteでも開設してくれればまだ良いものの。

 

 

 

 

 

その人達が人生に苦悩して吐き出す、強くて素敵な言葉を、ひっそりと眺めながら、そして心を抉られながら、

こういう言葉を吐きたい、と常々思っている。