青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

つかむ

シングルベットで抱く夢も君も無く、ツインとダブルしか選べない本日の宿泊先ではダブルベッドを選び広々使えるぜと気丈に振る舞う。

 

現行スマホの液晶が内部から割れ申し、急遽旧来iPhoneSIMカードをぶち込む始末。片手で隅まで届くサイズは案外どころか大分わるくない使い心地だ、おお、人類が忘れていた価値よ。

 

 

 

 

 

 

2023年の12月に、恐らく6年程会っていなかった実父と連絡を取った。ライブ遠征で宿代をケチろうとした結果だ。父方の祖父母や叔母はもう10年振りとかになるだろうか。

 

 

長子の私が小学校に上がる前に離婚しちゃったけど捨てるのもねぇと、よく小学生がぶら下げているランドセル型の革小物を今更だけど……と経年劣化で茶色くなった紙の封筒に入ったお守りを貰った時の涙腺が人生史上最もピークだった。

 

 

普通の家庭だった。あったかファミリー。

そして母方の家族は普通ではなかった。10何年振りに訪れたあの片田舎で育てられていたとしたら私はきっと生まれ持ったこの才も学をも持て余していただろうから、エピソードに事欠かないおもしろ家庭で育ったことはむしろ有難いことだと思っているけれど、父方実家には確かに私が感じることの少ない温かみと呼ぶようなものがあった。それは愛と呼ばれるものなのかもしれない。窃視した母の日記にも、父方祖母から「あなたのお家には愛がないわ」みたいな旨を言われたみたいな記述があった。

あったかファミリー成分は後天的に補えるものなのだろうか。触れて、キラキラが身体の奥にそっと溜め込まれていく感覚はあるけれど、果たして本当に補充されているのか。MPのように生きる内に消費してしまったら俺たちみたいな生まれはどのように回復したら良いんだ。どうしようか、どうもできないのかな。

 

 

 

私が育った町は確かに都会と呼べて、公共交通機関で生活することが出来る。そして父の実家では車移動が基本だ。だから父は、後部座席を犬に奪われた私に失われた10年をそこはかとなくiQOSにまいて探っていく。

「まだちっちゃかった頃の(俺)が、お父さん離婚しないで〜ってギュッてして来たのを、しないよ〜って俺、抱き返せなくって、それがすげえ心残りで。覚えてる?笑」

 

その場では覚えてないことにしたけれど、言われて思い出したら、やっぱり覚えてないことにさせて欲しかった。

離婚するってことはなんとなく薄々分かっていて、自分がどのように振舞っても仕方がない決定事実なのだということは分かりながら、幼い自分が駄々をこねればなんとかなるんじゃないかと思っていた、あざといクソガキの行動なんか今更思い出しても何にもならないな。その頃から賢しい、ずる賢かったんだな俺ってば。

おぼえてませ〜ん、何事も。全部全部知らない。

 

まぁ喧嘩してたとこを見ていた訳では無いしどうせ思春期で今と同じくらい嫌いになるのだから、俺が離婚を止められていたとしても別に幸福度は今と変わらないだろう、むしろ悪化しているかもしれないし。俺は俺が好きだから、運命に抗おうとする幼き日のくるくる天パの私が健気で泣けてしまうのだ。

 

 

 

 

同じ頃の記憶だったろうか。おそらく3-4才くらいの記憶だ。生まれ持った身体の性別がなんか逆だな〜と思っていた私は、七五三で着る桃色の着物を着るのを和室の隅で泣いて嫌がっていた記憶がある。いや、逆の方が良いとまで思っていたか、それとも今の身体が嫌まで思っていたかは定かではないが、所謂違和感はあったといえるだろう。それでもまだチビガキだから男女の違いもあまりなくて、これから成長途中で分化してまた中性っぽくなるかもしれないと能天気に生きていた。思い返してみれば保育園のプールの水着のルールも不思議に思っていたような気がする。そして確か4-5才の時だったか、三輪車で同級生を追いかけていた時に天啓が訪れる。確かにあの時私の脳内には稲妻が走っていた。体力、ないし体格的にだろうか、あの子に追いつけない、自分なりに一生懸命三輪車を漕いでも届かない、あぁ、私は一生この肉体と共に生きていかねばならぬのだ、一生、このまま私は、変わることなく。分け隔てられたものは交わることなく、分かたれたまま生きるしかないのだ。

決してこのように繊細な語りではないだろうが、そうだな確かに人生だ初めて絶望した日と呼べるかもしれない。

 

 

二次性徴の時は自分で自分の性癖をねじ曲げることで自らを承認していた、ような気がする。脱衣場はその受け入れるしかない現実と向き合う場所だった、悲しい思い出もそうないけれど。出っ張った骨がかろうじて僕をナルキッソスにさせていた、させることができていた。

 

 

 

両親の離婚も肉体も、抗ってどうにかなるものではなかった。離婚に関しては、離婚しないで〜と嘆くことは反射のようなものでそこに感情は無かったけれど。そして肉体も、いつからか俺のものではなくなった。現実はどうしようもなく襲う。天災も人災も。

 

 

 

きっと母は実家を出ることで人生をこの手に掴み取ったのではないかと邪推する。生の実感を得たのだと思う。俺は進路を選ぶ時そのように思っていた。他人に応援される道に行って皆を喜ばせたいと奮闘するばかりで、自分のやりたいことが無いと気付いてしまった時には大層唖然としたものだった。人生を自分のモノにする。美しいものを美しいと言う。それはきっと洗礼のようなものだ、わたくしの新しい誕生日は2024年の2月19日。ああ奇しくも私の耳に墓場がある2人の誕生日に近い。愛しい疎遠の貴女方よ、知らぬ間に生まれ落ちたこの生のさなかでどうか幸いの内にありますように。

 

 

 

肉体から意思が解き放たれていく

浮遊した人生をやりたいがためのエゴ

エゴで自分の人生を動かしていくことを選ぶよ、選べなかったファミリーネームで 選べなかった俺のこの肉体・才能で。

僕は精神が本体、そう信じ続けることが出来ますように。

 

 

 

 

 

あっ、死なないけどね

生きる理由になる君がまだ居るんだ。生きていよう、死ぬまでは。