青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

感情

 

生きた心地がする時はどんな時だろう。

君が1番人間らしいのはどんな時だ。

 

 

人は誰だって小さい頃、“世界に絶望した”時があるものだと思っている。

そんなだからついつい「あなたが初めて世界に絶望したのはいつですか」なんて問いたくなる。

 

自分は多数派だとわかった時、

目の前の事件に対して為す術がなくなった時、

吐きたくなるほどの愛を捨てた時。

 

絶望って、気持ち悪さが全てみたいな顔をしていながら、物凄く汚い人間みたいだ。

 

ちょっと、羨ましい。

 

まあ実際には苦しいだけなのだけど。

 

 

 

感情よりも論理的思考が上回る、そんな人は、

どこかで感情という人間らしさを求めているんだと思う。深層心理でも、表層でも。

そしてその逆も然り。

 

まあ本来ならば文字で考えること全てが人間らしい生命活動なのだけれど、これこそ天は二物を与えないというものだろうか、どちらかが欠如したまま呼吸を繰り返している命も多いよな、なんて思う。

 

 

誰かを好きになるということは、

好きという感情を抱くことは、難しい。

から、それが故に暴走することもあるし、

ふっと0になることだってある。

 

嫌いとか嫌だとかありふれたものじゃなくて、もっと尊い、命の雫みたいな感情を、論理思考人間から出せるひと、揺さぶれる人。

きっとこれが、好きに繋がっていると思うよ。

 

 

その過程で生まれ、尚且つ意識された感情は、「あなたは人間である」と肯定されているみたいで、割と、好き。いや、かなり。

 

 

 

自分が人間であると再認識して、絶望する日もあるし生きた心地がして嬉しい日もある。

そのどちらも結局は睡眠の糧にされて消えてしまうから、人は文字を得たんだよ、きっと。

 

情緒不安定、とか、気分屋、とか、別に悪いことじゃないと思う。持論だけど。

だってそれは僕にないものだから。

 

とても風情のない言い方をすればそれらの人達はモルモット、実験体。

 

感情の見本物。

 

好き。

 

 

 

質の悪いロボットとして、ではなくて、そこそこの人間として生きられているのは彼ら彼女らのおかげなのだから、きちんと向き合わなければなぁ、と思った、

それでもって決意した時の空が明け方色だから、そういう人はわりといつまで経っても報われないんだろうな。