青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

先生

思えば全部簡単すぎてつまらなかったんだろうな、と思う。

 

 

 

 

小学校の図書館には低学年向けに書かれた、フォントサイズと行間の大きな本ばかりが目に入るし、高学年向けの本は薄くて物足りなかったんだと思う。

だからこそ本棚の最上段に追いやられていた辞書よりも厚い「はてしない物語」を見つけた時は脳に電撃が走った。

その主人公も同じように古本屋で頭に電撃を走らせていたから同様に没入していきそれはそれは大層面白かった。

 

 

 

 

 

学習教材も、きっとつまらなかった。

 

月に一度送られてくる冊子を全て解き終えることも出来ずかといって毎日少しずつ解くことも出来ず、

たまに気が向いたら一気に解くが基本は白紙のままで、

自分は努力が出来ない人間なのだと思い知らされた。

 

思わなくても乱雑な机の上に置かれた物的証拠がこちらを見ていた。

 

今思えば別に簡単すぎただけだ。

 

 

 

だから中学受験塾は楽しかった。

電車を使う必要があったとこだけはめんどくさいと思うこともあったけど、

もし徒歩5分圏内にあったなら僕は良い思い出しか持ち合わせていなかっただろう。

 

だからTwitterで中学受験の闇を見た時は相当驚いた記憶がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

顔ファンの先生がいた。中3の時。

 

ちょっと前、先生のこと恩師とか言って美化出来るじゃんw、と思っていた。思うに、ガチで恩師だ。

 

 

 

何故好きなのかを考えるのが好きでTwitterのいわゆるリア垢にその先生のことをツイートし続けた。

5000ツイートくらいに及びちょっとした名物にまでのし上がった。

毎夜寝る前にツイートを見に来る同級生を爆誕させ、顔も名も知らず会ったことのない先輩にもそれとなく名が知られていて驚いた記憶がある。

それくらい頭のおかしい人だった、ということでもあるが。

 

 

 

 

 

その人が学校に居たのは2年だけだし関わったのは後ろの1年だけなのだけど、その後もずっと引きづっては細々とツイートしていた。

 

 

 

色々とあるけど、

見た目から入ったけど、

なんとなく好きな理由は、

 

その人が大人と子供の狭間に居てどちらにも馴染むことなく居るから、

青年期の私はその寛容さに惹かれたのだろうな、と思った。

 

 

 

 

主任の先生みたいに大人でもないくせに

塾の大学生講師みたいに明るいわけでもなく、

 

 

そのくせにほんの前まで小学生だった中1に授業でホロコーストの文庫本をオススメしたりするし、

およそ先生として教壇に立つ立場の人間じゃねぇな、と思っていた。

 

新任の先生にインタビュー★

みたいなやつで好きな〇〇をやたらと答えさせられるけど、

多分あの人感情持ってないから嘘だよと思ってたし、

元彼女とか言うけどお前が人を愛せるわけがない、と思う。

 

 

 

 

あの人が社会に紛れて問題になることなく今日でも彼の言葉を静かに聞く生徒が居るし

その思想を受けた人間が今後生まれ続けてしまうことが、

日本の抱える社会問題だとすら思っている。

 

 

 

 

つまり劇薬なのでした。僕にとって。

 

 

 

 

でもそれは大人なんだな〜と思った。

 

成熟していたんだなと思った。

 

多分どっかでちゃんと1回死んで大人になった子供だし、自分の闇をちゃんと自覚して、それを抑えているだなと思う。

 

 

 

僕も彼のおかげで1回死んだ。

 

だからその意味で教師として凄く最適な人なんだなと思う。

 

声の高い先生より、

人気な先生より、

闇が裏があると言われている先生より、

教え方が上手いと言われている先生より、

 

あの人の方が数百倍真っ黒で且つ真っ白な人生で、余っ程、師としてその素質があってその意味できちんと先生だったんだなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

身体の親と精神の親がいると思うけど、身体の親に対する感情が薄い分、

きっと彼に抱く感情は多い。丁度視覚を失って触覚が研ぎ澄まされるように。

 

そんな人はTwitterでどう検索したら出てきて、どうやったら一覧になるんだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

その人の、消えたTwitter垢名の、先頭の文字を打てば直ぐに変換されるキーボード内蔵の、よく出来たiPhoneより。