青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

2番目の想い人

 

 

 

少数派じゃないと世界が見えないから

全てにおいて少数派でありたいと思うよ

 

 

 

と友人にアドバイスというかそんな感じの言葉で勇気づけたことがある。

 

 

 

多数派に紛れていたら意見の違う他の人に寛容になれないから、とかそういった感じ内容だったはず。

 

 

 

 

 

 

 

ところで、人生で2番目の〜とか、最後から2番目の〜とか、そういう表現ってずるいなぁと思う。

 

いくらでもやり直し出来ちゃうじゃん、と幼少期に思っていた記憶があって、その印象をなんとなくまだズルズルと引きずっている。

 

 

何かしらの事柄について、

そういった自分勝手な偏見がある、

ということを踏まえても尚、自分の中で

その内容に誰が当てはまるか

ランク付けしたいものってあると思う。

 

今までで1番好きだった人には

自分の中の1番であって欲しいのと同じで。

 

例えば「君は今まで出会った女性の中で2番目に美しい…」とかいうセリフ、

なんて絶対に言う機会なんかないけど、

でもってなんだかベルばらくさいけど、

その心理は理解できるものがあるような気がしている。

 

 

そんでもって自分のランキングに入ってくる人、1位だろうが10位だろうが順位関係なく、絶対的に少数派だろ、と思う。

もしくは多数派でも少数派的部分を持った人。

 

 

だってそうじゃないと名前なんかいちいちあがってこないじゃん。

 

 

で尚且つ。そういう人物っていうのは大体自分が無意識に大事にしてる人が多い。本当に多い。3〜5位は顕著。そこまで交友関係広くなかったらごめん。

 

 

そういう自分が無意識に大事にしている人物ほど気づかないし失った時に悲しいものはないなあとも思う。

 

あれだな、両片思い。

学生時代リアルに経験したものとしてはなかなか辛い響きだが、今にも崩れそうな危うさがまた、美しかったのかもしれないなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

少数派は、まあたしかに数の暴力は出来ないけれど、

その分強い印象を与える力があると思う。

印象力とでも言うのだろうか、

その視点もあったのかという驚きやそれが存在していること自体に対して感じる怖さなどが与える力は、確かに人の記憶に残る。

 

 

 

他人のそんな僅かな少数派的部分も見逃さずに大切にしたい。だしせめて仲の良い人だけはその人の中の何かのランキングには入っていたい。

 

 

 

印象的でありたい、少数派でありたい、変人でありたい、変態でありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局その全ては自己愛なのかもしれないけど。