青春の溺死体。

好きな人の脳内は覗きたい。ここはいずれ私の脳内になる場所。

他人の母の死

 

 

「母の容態が悪くなったらしいので帰省」

 

こちらが勝手に見知った気になっているだけのただの赤の他人で、Twitterで相互になれて嬉しかった尊敬してる人。

 

 

 

「母を亡くして何かオーラが出てるのか皆優しい」

 

 

漠然と喪失感を得た。

 

 

まあ、それなりに涙も出た。

 

学生時代よりもちょっとだけだが

泣いたという事実が増えてきて少し嬉しい。

 

それだけ感情が豊かって感じがするから。

 

それでも好きなクリエイターの吉報とか、もっと他にそれっぽいことはあっただろうとも思う。

 

だというのに記憶の中で上位のレベルの悲しさだった。

 

 

知人の、母の、死が。(倒置法)

 

いや、向こうから見れば僕はただの他人だ。

 

 

いや、その他人の母の死が、

僕には相当キツかったのだ。

 

 

珍しく友人に相談というか愚痴というか、

悲しんでいるんだという旨を話した。

 

そうしたら「気持ち悪い」と言われた。

 

そりゃそうだ、ただの他人だもん。

 

 

特定して、相互になって、嬉しかった。

こちらの正体は何も明かしていない、

この世に存在している成人男性。

 

 

 

恩師と同年代らしいというのもあって、誰しもがそのくらいの年齢になると、母を思うそんな気持ちになるのだろうかとも思った。

 

 

 

30代の子供にとって、親とは、一体。

 

 

 

学生時代、実家暮らしだという先生が居た。

それはそれでその時にそこそこの衝撃を受けた。

ああ、なんだ、それで良いのか、先生だって人なのか、と思っていた。

結局、28だか9だかの年齢の時に辞めていったはずだけれど、職業として先生を選んだタイプなのか否かは、最後の朝礼台まで聞き忘れていた。何を話していたのかっていうのは、薄っぺらくて覚えていない。

 

と同時にTwitterで「25にもなって実家暮らしの男は〜」「ママの手料理が好きなのかよ」という旨のツイートを見た。

いや別に何も、どっちも、悪くは無い。

ちょっとだけ、自分が言われているような気がした。

 

 

あの時もこの時もまた他人だけれど、なんとなく辛かった。

 

 

親、というかよく見知っている生活を共にする人って

なんだか気持ち悪いなぁ、

とかいう考えもいつかは変わってしまうのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでそんなに早く逝っちゃったんだよ...」

 

 

肉親を亡くすこと、それがヒリヒリと心に染み付いて、時々考えている。

 

ただの他人のことを。